1990~1999【海外研修の歴史】

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子どもの権利と児童福祉のあり方検討の研修【子どもの権利条約以後】

子どもと家族をめぐる時代背景

1990年、前年の合計特殊出生率が1.57と、「ひのえうま」だった1966年の1.58を下回ったことが社会に衝撃を与え、「1.57ショック」と呼ばれました。少子化を問題として認識した政府は、仕事と子育ての両立支援など、子どもを生み育てやすい環境をつくるための対策を講じ始めました。それが1994年、1999年にそれぞれ策定された「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)と「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について」(新エンゼルプラン)です。これら計画では、保育サービスの拡充のほか、雇用、母子保健・相談、教育等の事業も加えた幅広い内容の目標が掲げられました。

エンゼルプランが打ち出された1994年は、日本が、「国連子どもの権利条約」を批准した年でした。子ども福祉向上の機運が高まり、子どもオンブズマンの制度の導入や子どもの権利条例の制定を行った自治体もありました。しかし、児童福祉法に「子どもの権利条約」が基本理念として明記されたのは20余年後の2016年のことでした。

海外研修について

1989年、国連で「児童の権利に関する条約(以下、子どもの権利条約)」が採択されました。それを受けて当財団では、1990年代、「子どもの権利」や「子どもの最善の利益」をテーマにした研修を6回、行いました。当時の日本では、女性の社会進出による家族の変化、少子化、放任、家庭崩壊、虐待といった家族問題に対する社会的関心が高まっていました。子どもの権利をテーマにした研修では、こうした問題を意識し、家庭福祉の根幹をなす人間観や児童観を問いただす理念的議論と、一般家庭の子どもと支援が必要な家庭の子ども、そして社会的養護の子どもと犯罪を犯した子どもの権利について考える視察を実施しました。訪問先は、官民の権利擁護機関、一般家庭、学童保育所、母子福祉施設、行政、児童虐待対応機関、緊急保護所、障がい児施設、児童養護施設、里親、児童治療施設、家族治療施設、移民難民対応機関、ユースサービス、少年司法関連機関と広範囲でした。

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第20回研修 インケアの若者の思いと主張を伝えるPARK(トロント)の発行物

日本では、子どもの権利条約が採択された翌年の1990年から、児童相談所における虐待相談対応件数統計がとられるようになりました。1990年の虐待対応件数は1,101件で、不登校や非行、障がい、社会的養護など児童相談所における他の種類の相談件数には遠く及ばない数でした。児童虐待は、1980年代まで特殊な家庭の問題として考えられがちでしたが、1994年、虐待、放置、怠慢な取り扱いから児童を保護することを締結国に求めた「子どもの権利条約」に日本が批准すると、相談件数が急激に増加していきました。児童養護施設の入所児童における被虐待児童の割合も増し、当財団では、1998年、初めて児童虐待を中心テーマにした研修「米国児童虐待の実態」を実施しました。以来、訪問国における児童虐待の状況や対応システムの把握は、海外研修に欠かせない要素となっていきます。

児童福祉法制定から50年を目前にした1990年代なかばから、子どもと家庭をめぐる現代の社会環境に対応した法律改正への審議が開始されました。1996年、厚生省は、要保護児童施策、児童保育施策、母子家庭施策を3つの柱として取り上げ、「現行の児童家庭福祉体系の見直しについて」の検討を始めました。翌1997年に成立した改正児童福祉法では、保育制度の改正、児童福祉施設の名称と機能の見直し、地域の相談支援の強化(児童家庭支援センター創設)、児童相談所の機能強化などが定められました。こうした動きに応じ、当財団では、1996年に「児童福祉施設の将来の在り方(近未来像)」を、1997年に「地域社会が求めるサービスの在り方」をテーマにした研修をそれぞれオセアニアとイギリスで実施し、児童福祉の基本理念と、児童福祉施設に求められるもの、複雑多様化するニーズにどう総括的に対応するかを議論しました。

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第23回研修 オーストラリアで入手した子どもへの性的虐待とネグレクト防止を訴えるパンフレット

元号 年号 社会のできごと 子ども、女性、家族にかかわるできごとや事件
平成2年 1990 大卒女子の就職急増 「子どもの権利条約」発効、一時保育、児童虐待対応件数統計開始
平成3年 1991 バブル崩壊、雲仙普賢岳噴火、湾岸戦争 育児休業法
平成4年 1992 高年妊産婦の定義30歳以上から35歳以上に、毛利さん宇宙へ 学校週5日制(月1回)
<資生堂財団20周年 「明日をひらく子どもたちに “子ども観”を考える」国際シンポジウム開催、カナダ「レジデンシャル・ケアの児童とティーンエージャーのための手引き」翻訳・刊行>
平成5年 1993 ウルグアイラウンド、コメ凶作、EU誕生 エンゼルプラン(少子化対策)、男女家庭科共修、『たまごクラブ』『ひよこクラブ』創刊
平成6年 1994 いじめ再び問題化、パート労働法、1ドル100円を割る、松本サリン事件 日本「国連子どもの権利条約」を批准(158番目)
平成7年 1995 阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、Windows95発売、ルーズソックス・ガングロ・茶髪流行 学校週5日制が月2回に
平成8年 1996 過労死の労災認定基準緩和、携帯電話急速に普及、覚せい剤乱用一般に拡大、「おやじ狩り」 厚生省方針「現行の児童家庭福祉体系の見直しについて」検討、日本子ども虐待防止研究会設立、全国児童相談所所長会「家庭内虐待調査」実施
平成9年 1997 金融機関経営破綻、雇用機会均等法改正、介護保険法成立、O157問題、携帯メール開始、京都議定書COP3採択    改正児童福祉法成立、援助交際問題化、神戸連続児童殺傷事件
平成10年 1998 金融ビッグバン、銀行貸し渋り、環境ホルモン問題化 学習指導要領告示、「キレる子」が問題化、学校基本調査で「学校ぎらい」が「不登校」に変更、子どもの虐待防止ネットワーク・あいち『見えなかった死 ―子ども虐待データブック』発刊
平成11年 1999 東海村臨界事故、初の脳死移植、桶川女子大生ストーカー殺人事件、栃木リンチ殺人事件、山口母子殺人事件、消費者金融CM解禁、完全失業率5%、改正男女雇用機会均等法(セクハラ防止義務) 高校学習指導要領告示、児童買春・児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童の保護に関する法律公布、「学級崩壊」
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