1980~1989【海外研修の歴史】

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現在につながる研修テーマの登場【社会福祉改革の時代】

子どもと家族をめぐる時代背景

1970年代、女性の社会進出が進んで保育の重要性は増しましたが、保育施設の整備は一向に進んでいませんでした。1980年、夜間や休日に働く母親が利用していた認可外保育施設(ベビーホテル)での乳幼児の死亡事故が相次ぎ、翌年、夜間保育、延長保育が制度化され、子育ての社会化(子育ての責任を家庭任せにせず社会全体で担うこと)が一歩進みました。一方で、家庭で子育てをする母親が抱えていた問題はあまり認識されず、「育児不安」という言葉が『厚生白書』に登場したのは1989年版でした。

1980年代は、1970年代後半から目立ってきていた校内暴力やいじめなどの学校の問題が大きな社会問題となりました。また経済的には中流家庭の、両親が健在で成績もそれほど悪くない、一見、普通の少年に非行が起き、非行の一般化などと言われたのもこの頃のことです。

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第10回研修報告書表紙

海外研修について

1973年、高い経済成長を背景に、日本政府は「福祉元年」を宣言しました。「経済成長なくして福祉なし」というかけ声の下で拡充していた福祉ですが、その後、変動相場制への移行や2度のオイルショックによって経済成長率が大きく低下し、1981年、福祉は「肥大化した」財政的見直しの対象となりました。経済成長を前提とした社会福祉のあり方を打ち破るための改革が始まり、1984年、全国社会福祉協議会は「今後の児童施設のあり方研究会」を設置しました。当財団でも、児童福祉の方向性を探る研修を企画し、対象者を児童福祉施設の施設長、副施設長、主任に絞り、「新しい施設養護の展開-自己改革への課題-」(1982年)、「施設の社会化一児童養護のネットワークづくりをめざして…」(1984年)を議論する研修なども行いました。

「施設の社会化」は、1981年の国際障害者年をきっかけに普及したノーマライゼーションの影響により、主に障がい者福祉分野が先鞭をつけて、当事者の自立と社会参加を促進するしくみとして施策に反映していったものでした。海外研修でも、施設入所中心の児童福祉施策に家庭支援や地域化の要素をどう加えるかの検討が行われました。1984年のオーストラリア研修報告書では、「ノーマライゼーションの考え方が基本となって、社会的養育の主軸が大型収容施設から地域社会で生活を営む小さなファミリー・グループ・ホームに移行している状況をみて、問題行動をもつ児童が多くなるなか、養育者がそれら児童をどう指導しているか疑問に思った」といった記述も見られます。

ここでいう“問題行動”のある子どもとは、複雑多様な背景がある、非行や情緒的な課題などを抱えた子どものことでした。当時の日本の児童福祉の現場では、こうした要保護児童への対応が重点課題となっていました。児童の養育全般についての相談を受ける児童相談所の役割も重要かつ大きくなっており、当財団では、児童相談所職員と、施設のスーパーバイザークラスの職員を対象に、「家庭の病理からくる情緒障がい児・家族への指導と治療、社会不適応児の社会復帰支援」というテーマの研修を実施しました(1985年)。また1987年、1988年と連続して、「非行傾向を示す児童の処遇問題」をテーマにした研修も行っています。

1980年代は、「施設の小規模化と専門化」、「治療的支援」、「地域社会関係」、「コミュニティ」、「予防サービス」、「機関連携」、「施設養護と家庭養護」、「パーマネンシー」など、現在の研修においても重要な検討項目がテーマとして登場しました。また、9回実施した研修のうち5回はアメリカを訪問しています(その他オーストラリアが2回、ヨーロッパが1回)。児童福祉改革が検討されたこの時代、アメリカから多くのことを学んだことがわかります。

元号 年号 社会のできごと 子ども、女性、家族にかかわるできごとや事件
昭和55年 1980 竹の子族話題に、イランイラク戦争 ベビーホテル等の認可外保育施設の問題、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(前年、国連総会で採択)署名
昭和56年 1981 大卒公募は男子のみの企業73% 児童福祉法改正(認可外施設の監督強化、延長保育)
昭和57年 1982 東北、上越新幹線開業 乳児死亡率世界最低に(1000人あたり6.6人)
昭和58年 1983 日本海中部地震、三宅島噴火、女性初の地方裁判所長 校内暴力(1981~1983)ピーク、「児童虐待調査研究会による調査」
昭和59年 1984 グリコ森永事件、ロス疑惑、長野県西部地震 「いじめ白書」、臨教審(~1987)、国籍法・戸籍法改正、既婚女性の5割以上が働く、妊娠判定薬発売 全社協に「今後の養護施設のあり方研究会」設置
昭和60年 1985 プラザ合意、女性の平均寿命世界で初めて80歳超す、厚生省血友病のエイズ患者を初認定 男女雇用機会均等法成立、未熟児(2,500g以下)出生増加(厚生省調査5.7%) 児童虐待調査研究会『児童虐待』刊行
昭和61年 1986 地価高騰、伊豆大島三原山噴火、社会党委員長に土井たか子氏 女子中高生テレクラ利用増加、鐘の鳴る丘少年の家『天使の宿』(赤ちゃんポスト~1992年)
昭和62年 1987 国鉄民営化、ブラックマンデー アグネス論争(児童福祉法制定から40年)
昭和63年 1988 リクルート事件 サラリーマンの妻の専業主婦率5割を割る、15歳未満人口が総人口20%を割る

昭和64年平成元年

1989 昭和天皇崩御、消費税導入、セクハラ問題化、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、日経平均が史上最高値 国連「子どもの権利条約」採択、小中高学習指導要領告示、「1.57」ショック、大学進学率男女逆転(短大含む)
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