1972~1979【海外研修の歴史】

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海外研修のスタート時期【福祉全般に社会の目が向けられた時代】

子どもと家族をめぐる時代背景

海外研修事業の根拠となる当財団の設立趣意書(1972年)には、下のような記載があります。

「わが国の発展は近年誠に目ざましいものがあり、特に経済面での繁栄は国民生活水準の向上、生活様式の改善をもたらしました。 しかしながら、この70年代が人間性復活の時代といわれながらも、その実情は国民の福祉、生活環境にまだまだヒズミが生じている面がみられ、調和ある社会の建設が望まれているものと考えられます。
このような現状から財団設立にあたっては、社会福祉事業への助成、特に次代の担い手を育くむ婦人および児童の福祉の充実、向上を国際的視野からはかり、時代に即応した事業活動を行なうことを目的としています。」

趣意書にある通り、当時の日本は、オリンピックを経て交通網などのインフラ整備が進み、GNP(国内総生産)も西ドイツ(当時)を超えて世界2位となるなど大きな成長と発展を遂げていました。国の財政が安定し、国民の生活が豊かになり、政府も市民も、社会的課題と福祉に目を向けるようになっていました。

経済成長のもと女性の社会進出も進みました。1960年代後半からのウーマンリブ運動の高まりもあり、女性の生き方や働き方に選択肢が広がった時代ですが、「男性は外で仕事をし、女性は家庭を守るもの」、「子育ては家庭でするもの」という意識が根強くありました。そのようななか、生後間もない赤ちゃんの遺体がコインロッカーで発見される事件(コインロッカーベイビー)や棄児の事件が続発しました。メディアでは、これらは「母性喪失」として論じられ、母親の育児責任が強調されることが多かったようです。また、働く女性が増えて保育の需要は増加しましたが、保育施設の整備は進まず、社会も行政も子育てを女性に任せきりとしていた風潮がありました。

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第4回研修 コペンハーゲンのガラクタ児童遊園

海外研修について

児童福祉の文脈では、子どもが健全に育つ環境づくりに関心が寄せられるようになりました。社会的養護の分野では、戦災孤児や浮浪児の保護・収容から施設設備や養育技術へ焦点が移り、貧困や非行といった以前から存在した問題への対応の強化や、障がい児への支援システムの整備が進みました。

1970年代の海外研修のテーマは、障がい者援助(技術、設備運用、ソーシャルワーク)、児童の健全育成、非行少年支援、施設と里親、母子福祉と幅広い分野にわたりますが、特に、障がい児医療・福祉、乳児院と虚弱児施設、養護施設と母子施設、児童館と子どもの国、教護院など、参加者の種別を絞り、関連施設を集中的に視察していたのが特徴的です。

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第3回研修 団員にさよならをするチルドレンズホームの子どもたち(ロンドン)

元号 年号 社会のできごと 子ども、女性、家族にかかわるできごとや事件
昭和45年 1970 大阪万博開催、よど号事件、70年安保、人口1億人突破 ウーマンリブ大集会(ニューヨーク)、コインロッカーベビー(2件)、女子雇用者中既婚者が5割超える
昭和46年 1971 成田空港反対闘争、環境庁発足 中教審四六答申 落ちこぼれ問題、第二次ベビーブーム(~1974年)、未婚の母問題化、コインロッカーベビー(3件)、児童手当法制定
昭和47年 1972 沖縄返還、日本列島改造論、札幌五輪、公害病訴訟 <資生堂子ども財団(旧 資生堂社会福祉事業財団)設立>
コインロッカーベビー事件(8件)、東京で捨て子増加(90人)
昭和48年 1973 オイルショック、日航機ハイジャック事件、政府「福祉元年」を宣言 <海外研修開始>
コインロッカーベビー事件(46件)、乳児院入所児童の1割が未婚の母の子ども(316人)、宮城県医師による赤ちゃんあっせん事件、厚生省が児童の虐待、遺棄、殺害事件を調査
昭和49年 1974 高校進学率90%超過
昭和50年 1975 ベトナム戦争終結 離婚12万件過去最高、乳幼児死亡率(1歳未満)2万人を切る
昭和51年 1976 ロッキード 虐待を受けた児童とその家族の研究(大阪府児童相談所)、戦後生まれ過半数に
昭和52年 1977 成田闘争、王貞治ホームラン世界記録 1歳6か月検診開始、小・中学習指導要綱告示
昭和53年 1978 宮城県沖地震、日中平和条約調印 「子どもの権利条約」草案をポーランド政府が提出、家庭内暴力顕在化(少年非行戦後第3のピーク)、高学習指導要領告示、紙おむつ発売
昭和54年 1979 第二次オイルショック、インベーダーゲーム流行 国際児童年、国連人権委員会に「子どもの権利条約」作業部会設置、国立大学共通一次試験実施 池田由子『児童虐待の病理と臨床』
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